この国のかたちってなんだ?
おはようございます。
ほそやんです。
誰しも自分の根幹を形作ったと言える
本が一冊や二冊はあると思います。
私にとってこの本がそれにあたります。
司馬遼太郎の思考のかけらみたいなのが
エッセイとして全6巻にわたって
短い話としてまとめられた本です。
日本とはどういう国なのか、
日本人とはどういう人たちなのか、
日本文化とはどういうものなのか、
その答えではなく読み手がそれを考えるための
足がかりを与えてくれる本というのが
表向きな紹介の仕方です。
裏側から紹介するとこんな感じになります。
日本の歴史が大好きで仕方ない司馬遼太郎にとって
第二次世界大戦中の日本だけはどうしても
好きになれない日本です。
大嫌いなこの時期の日本とは何か?
と考えることすら嫌悪してきた司馬遼太郎が、
ついにこの問題から逃げ出せなくなって
必死に向き合って思考した結果の「思考の澱」みたいなものが
積み重なったものがこの本かもしれません。
少し前にぼくが書いたこの記事をこの項目を読んだ後に
読み直してもらうとこの本からの思考の引用が
たくさんあることがわかると思います。
それぐらい影響を受けている本です。
この国のかたち3巻に「脱亜論」というお話があります。
福沢諭吉の「脱亜論」について書いているのですが、
その後半はおおよそこんな感じです。
革命をおこした国は倨傲(注:傲慢)になる。
特に革命で得た物差しを他国に輸出したがるという点で
古今に例が多い。~中略~
「脱亜論」はその気分の代表的なものでその意味にかぎっての
史的価値は十分にある。
ついでながら、今湾岸でおこっていることも
(注:この記事が書かれたときちょうど湾岸戦争中だった)
公的な物差し(スタンダード)というものと
土着のナショナリズムとの相剋の問題である。
しかしアメリカ以外にアラブに「脱亜論」を勧めるような
「勇気」は今の地球上にさほど多くはない。
結果が、自国にとって手ひどいことになることを
知っているからである。
先に書いた私の文章はこの「脱亜論」を読み返してから
書いたものではないですが、
この文章の内容の影響が色濃く出てると思います。
それと同時にこの本のすごさがこの短い抽出だけでも
司馬遼太郎の思考の澱が見えることです。
戦中日本の間違いの原因の発端がどこにあるのかを匂わせ
そして、その間違いっていうものは普遍的なものであり
今後も同じ間違いを起こす可能性が世界中であり得ると
いうことを示してくれています。
そこを明言しないのがこの本の面白さです。
最後のピースだけは自分ではめさせてもらえるパズルのような
感じに例えるとわかりやすいかもです。
30年も前の古い本ですが、いまだにたまに読みなおします。
読むたびに新しい発見がある本です。
戦中日本ってなんだって考えることを通して
物事の考え方までも教えてくれる、
ぼくにとって本当に大事な本のひとつです。
じゃ、また!!
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