さがしもの

日々思ったことを書いていきます。

桜島

ほそやんです。

 

前回の続きで鹿児島へ行った話をします。

 

昔、子供の頃に西郷隆盛の伝記本が家にあって

父親にこの人なにした人なん?ってきいたら

なにした・・・?ひとことではむずかしいなぁ

って言われたことがります。

 

確かに普通の人からすると

なにをしたわけでもないのに有名な人、

ってなるぐらい明確な実績がないです。

 

でも、海音寺潮五郎司馬遼太郎の本を読んだ人からすると

明確な実績がないにもかかわらず、その精神性から

西郷隆盛っていう人に興味を持たざるを得ません。

ずっとこの人が育った町、そして最後に戦った場所って

どんなところなのか見てみたいとずっと思っていました。

 

武士政権をこわすための起爆剤となり、さらに

武士の精神を終わらせる起爆剤となった人、

この人がどんな空気を吸っていたのか、

どんな景色を見ていたのか、知りたかったです。

 

で、行って思いました。

桜島でけぇ。

高知の桂浜を見たときと同じぐらい

これを毎日見てたら精神性が変わると思いました。

こまごましたこと気にせず大きく生きていこう

って思わせてくれる雄大な景色でした。

西郷隆盛をはじめとする薩摩系の軍人が

おおらかであったことが納得できました。

 

あともう一点、鹿児島へ行って納得したことがあります。

西郷隆盛は明治政府を辞めた後、鹿児島に帰り私学校をつくり

不平を持つ士族の教育を行います。

その私学校の生徒たちが暴発することで西南戦争がはじまり

戦争に負けた西郷隆盛は城山という場所で命を落とします。

この私学校と城山がどういう場所なのか

いまいちピンと来なくてずっと腹落ちしてませんでした。

 

行ってみてびっくりしました。

両方とも薩摩藩のお城である鶴丸城のすぐ横です。

たぶん、当時の私学校の生徒からすると西郷隆盛

お殿様のように思っていたのではないか、

というような場所でした。

場所を見ただけで、最後隆盛という存在が

どういうものであったのかよくわかりました。

 

そしてこの人の上に立ってしまった島津久光

苦悩も感じてしまいました。

自分が主権者だと思っているのに

形式上は主権者の後見人に過ぎず、

その劣等感を抱えながら

その劣等感を刺激してくる有能な部下を

使わなければ組織を保てないジレンマは

つらかっただろうなぁと。

 

鹿児島、行ってわかったことでした。