さがしもの

日々思ったことを書いていきます。

発展のカギは人の往来を作れるかどうかです。

おはようございます。

ほそやんです。

 

家の近所を歩いていたら

いつも人がいっぱいの駅やバスターミナルには

ゴーストタウンかと思うぐらい人がおらず、

反対に公園やスーパーには人があふれかえっている

というなんとも言えない雰囲気になっていました。

 

繁華街と観光地は本当に人がいないみたいですね。

ホテルとかたいへんだろうなぁと思います。

唐突ですが、日本で一番ホテルが少ない県って

どこの県かご存じですか?

 

さぞかしビジネス需要も観光需要もない県だろうと

想像しそうになりますが、

意外と観光需要はあるはずの県が最下位です。

 

答えは奈良県です。

 

修学旅行の定番であるはずの奈良ですが

宿泊は京都や大阪で奈良は日帰りが定着

してしまっています。

なぜ奈良はかつて日本の中心都市になったのか?

そしてその奈良がなぜここまで没落してしまったのか

不思議に思う人もたくさんいると思います。

奈良県の人、ごめんなさい。)

 

そんな疑問に地形から答えてくれる本がこの本です。

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

 

 作者は以前に建設省の官僚をされていた人で

ダム建設を担当される中で地形に興味を持たれ

その切り口から本書を書かれました。

 

奈良の謎以外にも

家康はなぜ江戸を選んだのか?

脆弱な土地である福岡がなぜ発展したのか?

頼朝はなぜ鎌倉を選んだのか?

赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したのか?

といった疑問を地形から考察されています。

 

実際にある地形から読み解く内容なので

歴史の教科書や地理の教科書ではわからなかったのに

あーそうだったのかって腑に落ちるお話が

たくさんあると思います。

ぜひ、休み中に読んで想像を膨らませた後に

コロナが落ち着いたら現地へ行ってさらに納得する

ということをしてみてはいかがでしょうか?

 

さて先ほどの問題に戻ります。

奈良はなぜ発展し、なぜ衰退したか。

答えは「交流の軸となれるかどうか」です。

 

かつて奈良が都となったころは

海水面が今よりも随分と高く

現在の大阪平野の大部分は海でした。

中国や朝鮮からの文化の流れは船で

瀬戸内を通りその一番奥の大阪に着き

そこから大和川をさかのぼることで

広い平野が広がる奈良が終着点として機能し

交流の軸として発展しました。

(大阪はまだ陸地が少なく狭すぎました。)

 

そのため奈良は発展し都となりましたが、

その後海水面が下がったことに加えて、

日本国内の街道が整備されるようになると

奈良は交流の軸から外れてしまい

大阪から京都、滋賀、名古屋という

交流軸がメインとなり

奈良は人が通らない町となり

衰退していってしまいました。

というのが本書の解説です。

 

歴史の流れにおいてこの解説はすごく

納得できる内容なのですが、

現代に限っていうなれば個人的にもう一つ

要因があるように思っています。

それは衰退していたがためにかつての遺跡が残りすぎて

一番賑やかなターミナル駅であるはずの

近鉄奈良駅周辺ですら市街化調整区域にせざるを得ず

コンビニ一つ作るのでさえ論争が起きるという

のも発展を妨げている要因だと思います。

(市街化調整区域とは読んで文字のごとく

市街化になることを控える場所のことです。

原則として建物は建てないでねっていう場所です)

voiceofnara.jp

今の新幹線は名古屋から北へいったん上がり

京都を通ってまた南下して大阪へ到着していますが

今後計画されているリニアモーターカー

京都をすっ飛ばして奈良を通る計画になっています。

名古屋と大阪を直線で結べば、東京大阪間は当然

距離が短くなり早く到着することができます。

しかし地上だと高い山があるので無理なのですが

地下を通るのであれば問題ありません。

そしてその線上には奈良があります。

 

京都が交流の軸から離れて衰退し

奈良が交流の軸へと再登場し発展する

未来がくるのかもしれません。

今京都は必死にリニアを京都にっていう

運動をしています。

どうなるんでしょうね。

 

じゃ、また!!

読んで面白かったら星マークを押していただくか

ほかの人にもシェアしもらえると嬉しいです。

毎日11時半ごろ更新を目指していきますので

読者登録も併せてお願いします。