さがしもの

日々思ったことを書いていきます。

自立して生きる、人は仲間である

おはようございます。

ほそやんです。

 

以前に紹介した「嫌われる勇気」ですが、
k-hosoyan.hatenablog.com

 これの続編が出ています。 

幸せになる勇気

幸せになる勇気

 

 

前作の「嫌われる勇気」で哲学者から

アドラー哲学の教えを受けた若者が

学校の先生となったもののうまくいかず

また相談に来るという内容です。

 

大きくおさらいですが前作では

「人は自立して社会と調和して生きるために

自分には能力があるという意識と

人々は仲間であるという意識を

持たなければならない」と説きました。

そこに補足的な説明をしてくれています。

 

〇課題の分離

他人からの承認欲求を求めてはだめで

誰の問題であるかをしっかりと見極めて

あなたは他者の期待を満たすために

生きているわけではない、ということを

理解しなければなりません。

数字が上がらなくて困る上司がうなっているのは

その上司の問題であって、あなたの問題ではないので

あなたが背負う必要はありません。

 

〇目的論

自分の言動や他人の言動を見定めるときは

そこに隠された目的を考えなければなりません。

われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく

その出来事にどのような意味を与えるかによって

自らの生を決定しているものなのです。

いじめられた人がみんなひきこもりになるわけではないように

ひきこもる理由としていじめをつかっているにすぎないのです。

いじめられたからひきこもっているのではなく

ひきこもりたいからひきこもっているのです。

 

アドラーは賞罰を禁じている。

叱ってはいけない褒めてもいけない、なぜなら

そこには相手を操作しようとしている意図があるから。

問題行動を起こす人の原因は

この承認欲求がみたされないことです。

 

〇問題行動の段階とその対処方法

第1段階 賞賛の要求(ほめてほめてほめなきゃやらないよ

第2段階 注意喚起(相手の注意をひこうとする

第3段階 権力争い(相手に勝とうとする

第4段階 復讐(相手を傷つけようと嫌がることをする

第5段階 無能の証明(無気力になってひきこもる

 

この問題行動に対して必要なことは

叱ることではなく彼らの目的に注目し、

ともにこれからどうするかを考えることです。

叱るということは相手とコミュニケーションを

とることを煩わしく感じ手っ取り早く相手を

屈服させようとしているにすぎないのです。

問題行動を起こす相手に必要なことは

相手を自立させるという目標を持つことです。

他者の承認欲求を求め他者のために生きるのではなく

自分の人生は自分で選ぶことができる、という

自分は自立ができるんだと思わせることが大事です。

 

〇賞罰がダメな理由

褒章がひどくなるとどうなるのか、というと

ワンマン経営の会社を見ればわかりやすいです。

リーダーの人格や思想信条を支持して人が従うのではなく

そのリーダーが苛烈な賞罰権を握っていることで

ただただ褒められることや叱られないことだけを目的として

社員たちはそのリーダーに従うようになります。

そして問題なのは、

褒められることを目的とする人が集まると

その共同体には誰が一番気に入られるかという競争が生まれます。

そうなると本来仲間であるべき相手を

競争相手、つまり敵とみなし、

妨害や不正が発生してしまいます。

 

持つべきは競争原理ではなく協力原理です。

我々は仲間であるという意識を持つことが

何よりも大切なのに褒賞によって壊されてしまいます。

 

私自身もこれまで生きてきた中で

課題の分離ができておらず悩んだこともありますし、

承認欲求が満たされず問題行動を起こしたこともありますし、

説明がめんどくさくなって叱ってしまったこともありますし、

叱られないためだけに仕事や勉強をしたこともあります。

それは私が特別なのではなく多くの人がそうだと思います。

 

ただ、それぞれ何が原因でそうなっていたのかは

あまり意識できていなかったと思います。

原因がわからないことは直しようがありません。

この本のシリーズを読んで

私は間違いなく意識の持ち方が変わりました。

(実践できてるかどうかは別として・・・)

自立して生きる、人は仲間である。

私はこう要約して心に刻んでいます。

 

じゃ、また!!

読んで面白かったら星マークを押していただくか

ほかの人にもシェアしもらえると嬉しいです。

毎日11時半ごろ更新を目指していきますので

読者登録も併せてお願いします。