さがしもの

日々思ったことを書いていきます。

先代がかつての部下に冷たくする理由とは?~官兵衛の生き方⑥~

おはようございます。

ほそやんです。

 

黒田官兵衛シリーズ最後です。

好きすぎて長くなってしまいました。 

新装版 武将列伝 戦国爛熟篇 (文春文庫)

新装版 武将列伝 戦国爛熟篇 (文春文庫)

 

黒田官兵衛シリーズ1回目はこちらから 

k-hosoyan.hatenablog.com

 

長政の活躍で中津から博多へ栄転した黒田家ですが

官兵衛はお城の外の屋敷に暮らしたと言われます。

そこで近所にすむ子供たちが部屋に上がり込み好き

放題やっていてもそれをみて

にこやかにしていたといいます。

(ちなみに博多を福岡と呼ぶのは黒田氏の元々の

出身地の岡山県の福岡という地名をお城につけた

ためといわれます。)

 

反対に自分の元部下たちには現当主の息子のために

冷たく当たったといいます。

自分がかわいがりすぎたことで長政と喧嘩別れして

しまった後藤又兵衛のことがよっぽど引っかかって

いたのだと思います。

 

 

大阪夏の陣真田幸村とともに有力武将

だったのが後藤又兵衛です。

後藤又兵衛は官兵衛にかわいがられすぎた

結果、又兵衛は長政を軽んじ、

長政は嫉妬心で又兵衛が大嫌いでした。

結果として長政は官兵衛を解雇しました。

それどころかほかの大名に又兵衛を絶対に

雇わないようにお触れをだしました。

又兵衛は士官先がなく、乞食のような生活

をせざるを得なくなり、死に場所を求めるか

のように大阪夏の陣に参加します。 

 

第二の又兵衛を出さないためにも、

官兵衛派閥を作らないように意図的に

離れるようにしていたのです。

 

会長になっても2代目社長に口を出したがる

会社も多いですが、官兵衛の切り替えのすごさ

は見習うべきところがあると思います。

今まで読んできてくれた人はわかると思いますが

決して官兵衛は息子に全幅の信頼を置いて

いるわけではないです。

 

2代目長政(正確には3代目)を頼りなく思い

口を出したいと思っても不思議ないのですが、

官兵衛は政治の世界からはきれいに身を引きます。

一度握った権力を離すのって難しく、

いったん離しても取り戻したくなるものですが

官兵衛は現場を混乱させないためにも

意図的に離れたのだと思います。

 

想像してみてください。

一線で活躍した人が隠居して質素な家で

近所の子供をやさしそうに見つめながら

日々ゆっくり過ごしている姿を。

こんなにいい人生の締めくくり方は

なかなかないと思います。

息子秀頼のことが心配で心配で最後まで

権力に縋りつかざるを得なかった秀吉と

比較すればよくわかります。

享年59歳。

 

時世の句

おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 

道はまよはじ なるにまかせて

 あんまり俳句とか短歌は得意じゃないのですが

官兵衛らしさがにじみ出てるのはわかります。

 

自己流解釈なので間違ってたらごめんなさい。

いろんな思いがありすぎて言葉じゃ表現できない、

でも道に迷うことなんてないよ、

だってなるように進んでいくだけなんだから。

そら、名前を如水にするわな。

 

自分の能力を発揮したいという自己顕示欲の強さと

なるようにしかならないという執着心のなさ、

強烈なにおいを発する賢しらだつ才気と

すべてのにおいを吸収するかのような欲のなさ。

相反しそうなものが両立するのが官兵衛の魅力です。

僕が好きすぎてたまらない要因です。

 

官兵衛自身は張良のようになりた

かったんだと思います。

でもそれになり切れない人間っぽい生臭さが

両立する原因だと思いますが、ぼくは

超人張良なんかよりよっぽど官兵衛に憧れます。

 

海音寺潮五郎さんの武将列伝と

司馬遼太郎さんの播磨灘物語を中心として

ほかもろもろを参考にしながら書きました。

多少の間違いや言い過ぎ、解釈の間違いは

ご容赦ください。

 

じゃ、また!!

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