さがしもの

日々思ったことを書いていきます。

組織がピンチの時にやるべきは教育改革

おはようございます。

ほそやんです。

 

幕末に活躍した藩として

薩長土肥といいますが、

薩摩、長州はわかる、

土佐も坂本龍馬いたから

なんとなくわかる、

でも肥ってなに?って

人も多いと思います。

 

ぼくも実際そうでした。

 

肥は肥前佐賀藩のことで

肥前の妖怪と呼ばれた鍋島閑叟

藩主と務めていました。

司馬遼太郎の「アームストロング砲」

という本を読んでもらうと

当時の佐賀藩の位置づけがよく

わかると思います。

新装版 アームストロング砲 (講談社文庫)

新装版 アームストロング砲 (講談社文庫)

 

佐賀藩は日本で唯一の開かれた港である

長崎の警護を命じられている藩でしたが

その警護費用がかさみ

財政難に苦しんでいました。

外国船が次々とやってくる中、

幕府へ援助を申し出るも

あっさりと断られた鍋島閑叟

超緊縮財政と教育改革と

西洋技術の独自開発を実行します。

 

表向きは恭順の姿勢を崩してないものの

肝心な時に助けてくれない幕府を見限り

独立独歩の道を進むことを決めた閑叟の

気持ちはどす黒いですよね。

研究開発費の援助を本社へ求めたものの

けんもほろろに断られた開発部長が

いつか開発した技術を自分のものにして

独立してやろうとひそかに心に決めた

みたいな感じでしょうか。

 

財政を絞りながら西洋技術習得にお金を使う

という矛盾したことを行うためには、

当然、教育改革にしわ寄せが行きます。

現代のお受験戦争なんて目じゃないぐらいの

超超スパルタ教育がはじまります。

そこから有能な人物が生まれ佐賀藩

財政立て直しと西洋技術の両立を

達成してしまいます。

薩摩藩のように琉球という打ち出の小づちが

ないのにもかかわらずやってのけた閑叟の

執念は恐ろしすぎます。

 

大きな河川も山もなく

古くから栄える博多と長崎に

挟まれた佐賀県民を揶揄して

佐賀県民のあとには

ぺんぺん草も生えない 」

と言われますが、

この閑叟の執念もこの辺に

あるのかなぁと思います。

 

閑叟は独自で身に着けた西洋技術で

作った蒸気船やアームストロング砲を

持つことで幕末の動乱を乗り切ります。

佐賀藩の西洋武器が勝敗を決めることを

閑叟はわかっていて一番いい売り時の

様子をうかがってここだっていうタイミングで

薩長側につき倒幕を完成させます。

 

薩長に比べると規模的には小藩である

佐賀藩の価値を一番高める方法は

パズルを完成させる最後のピースに

なることであるとであると

最初から見極めていたとしか思えません。

実際に最後にいっちょかみしただけの

佐賀藩が新政府の一角をなします。

 

江藤新平大隈重信副島種臣ほか

明治政府にたくさんの人物を輩出し、

現代でもこの時に活躍した人の子孫が

政治家として活躍(?)してたりします。

閑叟の超超スパルタ教育は大成功だった

と言えます。

 

組織がピンチに陥った時に

まずは教育改革に取り組むべきということは

閑叟によって証明されています。

目先のことに取り組むだけでは

根本的な解決にはならないです。

 

ただ、閑叟は少しやりすぎたようで

閑叟の超超スパルタ教育に反抗して

大隈重信早稲田大学を作ります。

よっぽど思うところがあったんでしょうね。

確かに佐賀藩出身の人物は官僚チックで

大物政治家にはなり切れなかったあたりが

スパルタ教育の限界なのかもしれません。

 

ぼくの祖母は佐賀県出身なので

佐賀県ってあまり他人事とは思えません。

親近感をもって書いてますので

悪口に聞こえる部分があったとしても

許してもらえると嬉しいです。

 

佐賀藩の他のことを書きたかったのですが

前段で長くなってしまいました。

続きはまた明日。

 

じゃ、また!!

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